雑談

GLAYのインディーズ時代を徹底検証!元メンバーの演奏力に注目!

まずはこちらの動画をご覧ください!!

『千ノナイフガ胸ヲ刺ス』・・・出荷数500万枚を突破したGLAYのベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』にも収録されている、インディーズ時代からの名曲です。動画の冒頭から異彩を放つ、AKIRAのドラムテクニックにご注目ください。

インディーズ時代のGLAYは、正式ドラマーを含めた5人編成でした。動画は1993年収録のパフォーマンス。AKIRAは1992年からメジャーデビュー直前までの約2年間、黎明期のGLAYサウンドを支え、バンドを盛り上げました。

GLAYのインディーズ時代に生まれた曲は、ブレイク後25年以上経った現在でも、ライヴを盛り上げる名曲として、親しまれています。GLAYのサウンドは、年月とともにしなやかさを増し、熟成しているのです。

インディーズ時代のGLAYが一番格好いい!?

今回の記事では「インディーズ時代のGLAYが繰り出す、硬さの残ったパフォーマンスが一番格好いい!!」と感じている私が目いっぱい、インディーズ時代のGLAYの魅力に迫り、国民的ロックグループの礎となった歴史をご紹介します!!

ふとんクリーナー
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インディーズ時代のGLAYの魅力については2020年6月の記事、「5人編成時代のGLAYを愛聴!」にも書いていますので、よろしかったら、読んでみてください!!

「優しさロック」という難題に挑み続けるGLAY

『無限のdeja vu』でオーディション番組に挑戦

GLAYの歴史を語るうえで、欠かせないエピソードがあります。それは1990年11月に出演した、オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(以下『イカ天』)での経験です。

当時のGLAYにとって『無限のdeja vu』は「優しさロック」に最もふさわしい曲。ギター1本とヴォーカルのみのイントロを長めにとるなど、GLAYは凝ったアレンジで審査員とお茶の間に、存在をアピールしています。

しかし審査員を務めた斎藤ノヴ氏からの評価は、「メンバーの見た目は派手なのだから、もっと演奏に毒が欲しかった」と、厳しいものでした。

田中一郎氏からも「最初ギター一本だけで始まる曲なのに、後からバンド全体の音が鳴っても差を感じない」「ずっとAメロを聴いている感じ」と、インパクト不足を指摘されています。

ふとんクリーナー
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GLAYがブレイクした直後、ゴシップ雑誌で「GLAYを酷評した、見る目の無い『イカ天』審査員たち」と批判する記事を見ました。しかし現在では「的確なアドバイス」、と受け取れる人の方が多いのではないでしょうか。

GLAYと共に上京してきた戦友、DILDOも苦戦

『イカ天』に出演していたベーシストのSHINGOは、函館時代にGLAYと共に活躍していたバンド、『DILDO』のメンバーとして活動。

SHINGOは函館で実力派のベーシストとして知られ、DILDOと掛け持ちしながら、上京直後のGLAYを2年半にわたり支えてきました。

今回は貴重な、DILDOの音源を聴かせて頂くことができました。DILDOのサウンドは「優しさロック」のGLAYとは対照的に、とにかくハード。1980年代に起こったジャパニーズ・へヴィメタル・ムーヴメント(以下、ジャパメタ)の影響を強く感じます。

しかし1990年前後はジャパメタ界にとって、かなり苦しい時期。ニュー・ウェーヴ系サウンドのバンドが評価される時代で、DILDOのようなサウンドは「今更かよ!」と言われかねない、厳しいスタイルだったのではないでしょうか。

DILDOは東京で数えるほどのライヴをこなし、上京後約1年で解散します。DILDO解散に伴い、SHINGOはGLAYでのバンド活動に専念しました。

ふとんクリーナー
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2020年現在、地元函館でDILDO復活を期待させる情報がありました。これから注目していきましょう!!

正式ドラマーが決まらなかった、GLAYの暗黒時代

AKIRA加入直前の、1992年5月のライヴ動画を見てみましょう。

GLAYが『イカ天』に出演した1990年11月から1年半以上経ち、GLAYメンバーの服装もモノトーンカラーを基調にした、ヴィジュアル系へとシフトしています。当時のドラマーは高校生のISO。

1991年はGLAYのドラマー不在問題が深刻で、ベースのSHINGOがドラムを担当、HISAHIがベースを担当する・・・といった時期がありました。ISOは1992年2月から5月までGLAYに在籍。

当時の動画を見ていると、堂々とし切れていないTERUの様子が少し、気の毒に感じます。

時代に合わせヴィジュアル系を意識した衣装に身を包んでも、ダークさに欠ける音楽性を「中途半端」と評価されたり、ライヴでは観客の反応が薄かったりと、GLAY「暗黒時代」のうわさは、大げさではないのかもしれません。

ISOのドラムの腕前は過小評価?

ISOは1992年5月、AKIRAの加入に伴いGLAYを解雇されてしまいます。AKIRAの著書『Beat of GLAY』によるとTAKUROがISOにきっぱりと、「君の演奏ではGLAYの音楽を表現できない」と言い渡したのだそうです。

「高校生だから・・・」「GLAYに加入したいと言ってくれたドラマーがいるから・・・」と言って辞めさせがちなところ、TAKUROはISOに「実力不足」を言い渡しました。TAKUROの覚悟を感じさせるエピソードのひとつです。

改めてISO在籍時のライヴ動画を視聴し、ドラムテクニックに注目しました。

動画を視聴した限りでは、下手には聴こえません。特にこれといったミスも無いようでしたし、ドラマーとしての役割は果たしていたと思います。

しかしGLAYは、後に国民的ロックグループへと成長するバンド。「高校生にしては上手い」「アマチュアとしては上手い方」といったレベルから抜けきれないドラマーは、インディーズでも通用しなかったのでしょう。

AKIRAの加入により、演奏力が強化

上京直後のGLAYを支えた、SHINGOの演奏力

AKIRAは東京都八王子市出身で、当時のGLAYメンバーとは1つ年下です。1992年5月に歩行者天国で見たGLAYのパフォーマンスに注目し、翌週のライヴでメンバーと知り合い、ISOと入れ替わる形で加入しました。

AKIRAはGLAY加入後、スタジオ練習の回数を増やそうと提案し、演奏力の強化に努めます。1992年7月に発売されたAKIRA加入後初のデモテープ『DANCE VISION』は高評価を得て、GLAYの知名度はインディーズ界の中でも上がっていきました。

SHINGO対JIRO

『DANCE VISION』で聴かれるSHINGOのベースプレイ、現ベーシストJIROとの違いは『TWO BELL SILENCE』で確認できます。

SHINGOが派手めなベースプレイでGLAYのサウンドを引っ張っているのに対し、JIROのプレイは堅実です。JIROは派手なプレイを売りにしているベーシストではありませんが、GLAYのヴィジュアル面やプロモーションの強化に大きく貢献しています。

SHINGOの脱退とJIROの加入

しかしAKIRA加入後、スタジオ練習の回数が増えたころから、SHINGOのバンド活動に対するモチベーションが、低下してしまいます。SHINGOはGLAYでの活動をおろそかにしてでも、恋人との生活を大切にしました。

心配をしたTERUとAKIRAはSHINGOの住むアパートまで行き、話し合いをします。SHINGOは「このままバンドを続けても、成功するかどうかわからない。それでは彼女を幸せにすることができない」と伝え、GLAYの脱退を決意しました。

ライヴに穴を空けなかったGLAY

函館時代からの友人だった、SHINGOがGLAYに在籍していた期間は1990年4月から1992年9月までの、約2年半。

SHINGOの脱退が決定したあともライヴの予定は組まれ、SHINGOが最後のライヴ出演を終えた後にJIROが加入する流れは、スムーズでした。

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JIROは函館時代、GLAYの後輩バンドである『ピエロ』のメンバーとして活躍。ピエロはGLAYの後を追う形で上京しましたが、解散。TAKUROはピエロ解散直後のJIROに声をかけ、SHINGOの後任に決めていました。

1993年、本格プロとしての活動が始まる

エクスタシー・レコーズがGLAYに注目

JIROが加入してからのGLAYは、メンバー全員が高いモチベーションを維持しながら、デモテープ制作やイベント企画をこなし、着実に力をつけていきました。

ついに1993年8月、YOSHIKI設立の大手インディーズレーベル『エクスタシー・レコーズ』がGLAYに注目始めます。GLAYの音楽はYOSHIKIに「僕がプロデュースしてみたくなるバンド」と思わせるほどの評価を得ました。

エクスタシー・レコーズの凄さ

エクスタシー・レコーズの凄いところは「エクスタシー所属のバンドは何としてでも売る」といった熱い姿勢で、契約したバンドには惜しみなく、広告費だけで数千万円も投資します。

エクスタシー・レコーズと契約したGLAYはいよいよ、本格的なプロミュージシャンとしての活動を開始しました。メンバーにはエクスタシー・レコーズから月給が支払われ、スタジオ代からステージ衣装も全て、エクスタシー・レコーズが用意。

過酷なアルバイト生活に耐えながら、バンド活動を続けてきたGLAY。環境の急激な変化に戸惑いながらも、ようやく音楽に専念できる、プロミュージシャン生活を手に入れました。

メジャー・デビュー直前、AKIRA脱退

『灰とダイヤモンド』レコーディングの厳しさ

エクスタシー・レコーズと契約したGLAYは、音楽活動に集中できる環境を手に入れましたが、決して楽になったわけではありません。

広告に力を入れる姿勢のエクスタシー・レコーズは、雑誌広告や取材の仕事をガンガン取ってきました。GLAYのスケジュールは2~3日前に決まることが多く、GLAYメンバーのみで集まるといった機会も減っていきます。

AKIRAはエクスタシー・レコーズでの窮屈なプロ生活になじめず、違和感を持つようになりました。一方、エクスタシー・レコーズは何としてもGLAYを売り出したい。『灰とダイヤモンド』のレコーディングは、厳しさを増しました。

TERU以外の4人が脇役に徹した『灰とダイヤモンド』


ジャケットを見れば一目瞭然ですが、『灰とダイヤモンド』はヴィジュアル面からサウンド面まで、ヴォーカルのTERUを際立たせたアルバムです。レコーディングでも、ヴォーカルを埋もれがちにさせるサウンドには、何度もNGが出されました。

GLAYはTERUとTAKUROの二人だけでいい?

1994年1月、『灰とダイヤモンド』のリリースとメジャーデビュー曲『RAIN』のレコーディングが決まります。『RAIN』のレコーディングはロサンゼルスで行われることになり、メンバー全員のテンションもアップしました。

しかしエクスタシー・レコーズはメンバー全員を集めたミーティングでHISASHI、JIRO、AKIRAに厳しい言葉をかけます。

「やる気がなくなったら参加しなくていい。うちはTERUのヴォーカルとTAKUROの曲さえあれば、GLAYとして売り出すことができる

1994年2月、エクスタシー・レコーズはAKIRAをロサンゼルスに連れて行かないと判断。勝気な性格のAKIRAはGLAYにしがみつくことなく、脱退を決意します。『RAIN』のドラムは、海外のセッションドラマーが担当しました。

AKIRAが参加した唯一のメジャー作品

1994年2月にAKIRAはGLAYを脱退しますが、メジャーデビューシングル『RAIN』の前にレコーディングされたセカンドシングル『真夏の扉』では、AKIRAのプレイを聴くことができます。

『真夏の扉』がリリースされたのは1994年6月なのでPVにAKIRAは映っていませんが、AKIRAのプロキャリアはGLAYのメジャー音源にも残されていました。

メジャーデビュー直後のGLAY

NOBUMASAはライヴとヴィジュアルでのみ参加

メジャーデビューしたGLAYは、AKIRAと友人関係にあるドラマー、NOBUMASAにサポートを頼みます。

GLAY初の全国ツアーに同行したNOBUMASAはメジャーデビューアルバム『SPEED POP』のレコーディングには参加できませんでしたが、正式ドラマーとして迎えられました。

しかし事務所の意向によりNOBUMASAは1995年、『SPEED POP』発売直後に解雇。GLAYは「5人編成でこそGLAY」というこだわりを捨て、一流セッションドラマーの永井利光氏を迎えます。

AKIRAはKill=slaydに参加

AKIRAはGLAY脱退後、GLAYと親交の深かったKill=slayd(以下、キルスレイド)に加入。ミニアルバム『-Peripheral-』のレコーディングに参加しました。

AKIRAがキルスレイドの活動した期間は約半年と短く、キルスレイド脱退後はいくつかのローカルなバンドで活動しながらも、一般人としての暮らしを選びました。

ふとんクリーナー
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AKIRAとNOBUMASAは幼なじみで、AKIRAがキルスレイドを脱退した日とNOBUMASAがGLAYを脱退した日は1日しか違わなかったそうです。

おわりに

今回、参考にさせて頂いた書籍

今回の記事でははAKIRAが1999年2月に上島明として発表した、『Beat of GLAY』を主な参考書籍とさせて頂きました。

その他webの情報を頼りに私見を交えた文章にしてしまったため、この記事を最後まで読んでくださったあなたにとって、スッキリしない記事になってしまったかもしれません。

少しでも良い記事にしていきたいと思いますので、指摘事項がありましたら、当ブログの「お問い合わせ」から、メッセージを頂ければと思っています。


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今回の記事も最後まで読んで頂き、ありがとうございました!!