「ラガーレグルス事件」を、覚えていますか?
私は毎年1月2週の時期になると、私にとっての「ラガーレグルス事件」ともいえる、苦い経験を思い出します。
2012年のフェアリーステークス、2番人気パストフォリアの大出遅れ。
今回の記事ではフェアリーステークスでの苦い経験と「ラガーレグルス事件とは?」について、書かせていただきます。
ラガーレグルス事件「私はこれで、競馬をやめました」
ラガーレグルス事件とは2000年の皐月賞、スタートのゲートが開いたときに1枠1番のラガーレグルス(3番人気)が座り込んでしまい、競争中止となった出来事のことです。
「返還にはならないのか!!」といった願いもむなしく、ラガーレグルス絡みの馬券を買っていた人々は、絶望を味わいました。
ラガーレグルス事件がきっかけで競馬をやめた人は、決して少なくなかったのではないでしょうか。
放馬……またもや哲三!?
ちなみに、返還のあったレースもご紹介しておきましょうか。
2011年のスプリンターズステークスですね。
私は7枠のビービーガルダンとエーシンヴァーゴウに注目。7枠の枠連総流しを買っていました。
ところがレース直前、ビービーガルダンが放馬してしまいます。
鞍上はラガーレグルスのときと同じく、佐藤哲三騎手。
レース結果は3番人気カレンチャンが勝ち、単勝1.5倍の1番人気ロケットマンは4着。
エーシンヴァーゴウは7番人気の3着と、がんばってくれましたが惜しくも枠連が的中せず、私は悔しい思いをしました。
私の手元に残ったのは、枠連7-7の返還金だけでしたね。
2012年のフェアリーステークス

2012年のフェアリーステークス、私は2番人気パストフォリアの単複馬券に生涯最高額の資金を投入しました。
当時は私生活でモヤモヤしていた時期で、前日のシンザン記念でも予想を外し、悔しい思いをしていたのですね。嫌なこと重なり、金銭感覚が崩壊していました。
何より決定的だったのは当時、私がSNSで支持しているカリスマ予想家がパストフォリアの実力を絶賛していたことです。
「このメンバーなら、パストフォリアが圧勝する!!思い切りいけ!!」
「祈りは届かない」パストフォリアの大出遅れ
私はフェアリーステークスの馬券を買ったあと、急に恐くなりました。
レース前は新潟競馬場の場外馬券売り場で手を組み、人目をはばからず、ずっと祈っていたのです。
「3着までは……」「いや、せめて、スタートだけは……」
……レースが始まります。
祈りは届くのか?
いよいよ、スタート……!!
出遅れ!?
黄色い帽子!?
蛯名か!?
いや、違う!?
「おっと・・・9番のパストフォリア、大きく立ち遅れました」
私の競馬史上、最悪の瞬間
パストフォリアが立ち遅れた瞬間から最終レースが終わるまで、私はその場から動けませんでした。
「こんなことって、本当にあるのか?負けるにしても、せめてスタートだけはと、ずっと祈っていたのに!!」
あまりのショックに、以後数ヵ月も、当時の馬券を捨てることができませんでしたね。
2012年のフェアリーステークスがきっかけで、私は競馬をやめました。
しばらくしてから立ち直り、復活しましたけどね。
まあ・・・私の競馬史上、パストフォリアの大出遅れ以上の悪いことは起こらないでしょう!!
馬券は自己責任とはいえ・・・

ラガーレグルス事件は皐月賞での座り込みだけではなく、後に行われた公開ゲート試験での出来事も含まれての「ラガーレグルス事件」なのです。
ラガーレグルスが臨んだ公開ゲート試験。一部の観客がラガーレグルスに恨みを持っていたのか、騒音をたてるなどの妨害を始めました。
騒音とラガーレグルスに対する罵声に佐藤哲三騎手は激怒。観客席に向かっていきました。加えて嫌がらせの犯人と他の観客が喧嘩を始めてしまい、場内は騒動となったのです。
ゲート試験をクリアできなかったラガーレグルスは、ターフを去りました。
騒音妨害の犯人は、皐月賞でラガーレグルスの馬券を買い込んでいたのでしょうか?
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「馬券は自己責任」ということは、誰でも知っています。
しかし・・・「恨み」という感情は実に厄介ですね。
私も正直、パストフォリアには「このまま引退してくれないかな・・・」なんて思っていました。
しばらく、パストフォリアの名前を見聞きしたくありませんでしたからね。
「ラガーレグルス事件で競馬をやめた人たちも、当時の私のような気持ちだったのかな・・・?」なんて、考えたりもします。
毎年1月の2週目になると、決まって当時のことを思い出してしまいますね!!
今年は良い週になればいいなあ・・・。
もちろん、私にとっても、あなたにとっても!!
今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!