2020年現在の競馬界、チョコレートのような渋めの毛色「栃栗毛」の活躍馬はすっかり珍しくなってきました。
あまり知られていませんが2021年の現在、栃栗毛は「500頭に1頭、出るか出ないか」と言われるほどの珍しい毛色なのです。
1990年代には珍しかった芦毛、白毛、青鹿毛、青毛の馬は時代が進むにつれ、見た目の派手さもあり、活躍馬が増えています。一方、栃栗毛は見た目が地味で、なかなか注目されません。
今回の記事では「地味だけど珍しい毛色」栃栗毛に注目し、活躍してきた名馬について、ご紹介。競馬ファンに「そうだったのか!!」と感じていただけるような記事になっていただけたら、とてもうれしく思います。
それでは栃栗毛の名馬について、私とあなたで一緒に勉強していきましょう!!
栃栗毛の名馬 1 サクラローレル
父 | Rainbow Quest |
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母 | ローラローラ |
馬主 | (株)さくらコマース |
調教師 | 境勝太郎(美浦)→小島太(美浦) |
競走成績 | 22戦9勝 |
主なGⅠ勝鞍 | 1996年 天皇賞(春)
1996年 有馬記念 |
「栃栗毛の名馬」といえば、一般的にはサクラローレルが最も人気を獲得し、「最強の栃栗毛馬」として語り継がれている競走馬なのではないでしょうか。
サクラローレルはナリタブライアンと同世代。重度の脚部不安と闘いながら古馬GⅠを二度も勝ち獲ったことで「遅れてきた不屈の最強馬」と、多くのファンを魅了しました。
サクラローレルといえば中山競馬場での重賞勝鞍が多いため「中山巧者」と思われがちです。しかしサクラローレルは東京競馬場でのレースでも高い3着内率を誇り、京都競馬場で3戦2勝で2着1回の「隠れ京都巧者」でもありました。
競馬界の重鎮、故・境勝太郎氏の調教師人生最晩年には念願である「有馬記念の勝利」をラストチャンスでプレゼント。サクラローレルは「ドラマティックホース」としての人気をも獲得しています。
サクラローレルの注目レース「1996年 天皇賞(春)」
1996年の天皇賞(春)では、前走の勝利で復活の兆しを見せたナリタブライアンと同レース2着だったマヤノトップガンが、2強状態を形成。前走の中山記念を9番人気で勝ったサクラローレルには3番人気ながら単勝オッズ14.5倍という、高めの配当がついていました。
レース序盤は道中の先行4番手にマヤノトップガン、中団7番手にナリタブライアンが追走。1枠1番のサクラローレルは9番手の好位を得て、2強をマークできる状態をキープします。
4コーナーで早めに先頭を走るマヤノトップガンをナリタブライアンが追い抜いたとき、ファンは「ナリタブライアンの復活」を確信しかけました。しかし好位から大外一気に出たサクラローレルは上がり最速の末脚を決め、同世代のナリタブライアンを抜き去ります。
度重なるケガを乗り越え、サクラローレルは圧倒的な勝利で悲願のGⅠタイトルを獲得しました。
栃栗毛の名馬 2 マーベラスサンデー
父 | サンデーサイレンス |
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母 | モミジダンサー |
馬主 | 笹原貞生 |
調教師 | 大沢真(栗東) |
競走成績 | 15戦10勝 |
主なGⅠ勝鞍 | 1997年 宝塚記念 |
1996年の有馬記念からマーベラスサンデーはマヤノトップガン、サクラローレルとともに「3強」に数えられます。マーベラスサンデーは現役中に4度の骨折を経験しながら一度も掲示板を外さなかった戦績を残し、競馬関係者から高く評価された栃栗毛馬です。
武豊騎手はマーベラスサンデーのデビューから引退までの15戦、全レースに騎乗。1997年の有馬記念ではエアグルーヴの主戦でもあった武豊騎手はマーベラスサンデーへの騎乗を選択し、シルクジャスティスに敗れはしましたが1番人気2着の成績を残しています。
1990年代、栃栗毛は2020年代の現在ほど「珍しい毛色」といった認識がされていませんでした。1997年上半期まで形成されていた「3強」のうちサクラローレルとマーベラスサンデーの2頭が栃栗毛だったことも、影響したのではないでしょうか。
マーベラスサンデーは種牡馬としても活躍。芝の高速馬場から地方競馬のダートでも活躍できる競走馬を輩出します。特に、障害レースの強い産駒を多く輩出している点が印象的でした。
『ウマ娘』マーベラスサンデーの魅力
メディアミックスコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』でのマーベラスサンデーは、キラキラ輝かせた瞳が特徴の、明るい女の子に描かれています。口ぐせは、ずばり「マーベラス!(素晴らしい)」。
史実では栃栗毛のマーベラスサンデーですが、『ウマ娘』では黒っぽい毛色。マーベラスサンデーの「メンバー唯一の栃栗毛ウマ娘」であることが強調されていないのは、少々さびしいところです。
史実でのマーベラスサンデーには、レース直前に用を足す癖がありました。そのため、『ウマ娘』でのマーベラスサンデーも「トイレが近い」設定となっているようです。
マーベラスサンデーの注目レース「1997年 宝塚記念」
1997年の宝塚記念は「3強」のうち、マーベラスサンデーを除く2頭が出走回避。
「3強」の一角に数えられながらGⅠタイトルを持っていないマーベラスサンデーはバブルガムフェロー、ダンスパートナー、タイキブリザードといったGⅠ馬を、1番人気として迎え撃ちます。
レースでのマーベラスサンデーは向こう正面での後方3番手から、コーナーにかけジワジワと加速。操縦性の高さを活かし馬群をかき分け、3番人気バブルガムフェローを差し切ったところでゴールイン。
マーベラスサンデーには「先頭を走ると気が緩む」という欠点があったことから、1997年の宝塚記念では着差以上の実力差を感じさせる走りでGⅠタイトルを手に入れました。
栃栗毛の名馬 3 トーヨーシアトル
父 | Deputy Minister |
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母 | City Dance |
馬主 | (有)トーヨークラブ→藤田利勝 |
調教師 | 松永善晴(栗東)→ 田中満(上山) |
競走成績 | 29戦7勝 |
主なGⅠ勝鞍 | 1997年 東京大賞典 |
日本のダート界は1990年代から2020年代の現在も、距離の短縮化が進んでいます。「長距離ダートレース」を得意とする競走馬も、活躍できる舞台が少なくなってしまいました。
トーヨーシアトルは1990年代の競馬を体験してきたファンならご存じの、「長距離ダート界の主役」に輝いた栃栗毛馬です。
1990年代以前、「長距離ダートレース」はJRAと地方競馬の両方で多く実施されていました。アメリカ生まれのトーヨーシアトルはナイスネイチャの主戦で知られる松永昌博騎手を背に、1990年代後半のダート界を駆け抜けます。
当時の日本ダート界主役は「地方競馬総大将」アブクマポーロ。トーヨーシアトルと同世代のシンコウウインディ、サッカーボーイ産駒のキョウトシチーも強敵として立ちはだかりました。
しかし「2600m以上の長距離ダート」というニッチな舞台では、トーヨーシアトルが頭一つ抜けた強さを見せつけていたのです。
トーヨーシアトルの注目レース「1997年 東京大賞典(大井GⅠ)」
1997年にGⅠレースに格付された東京大賞典は同年を最後に、2800mから2000mに距離が短縮されます。「2600m以上の長距離ダートGⅠ」という極めてニッチな条件のレースはまさに、「トーヨーシアトルのために用意された、最初で最後の舞台」。
トーヨーシアトルは前走、名古屋競馬場で2500mの東海菊花賞(GⅡ)を勝ち、東京大賞典の前年度覇者キョウトシチー相手に長距離ダート適性を見せつけました。しかし東京大賞典での単勝オッズは、2番人気。
1997年の東京大賞典、1番人気は前走、JRA重賞のダート2300mレース「東海ウインターステークス(GⅡ)」でトーヨーシアトルを破ったアブクマポーロです。
レースでは11番人気ホウシュウブライト(最下位13着)と6番人気サージュウェルズ(11着)が大逃げを打ち、集団ではトーヨーシアトルが先頭。逃げ馬を捕えたトーヨーシアトルは独走状態で直線を駆け抜け、2800m時代最後の東京大賞典を圧勝しました。
翌年に2000m時代最初の東京大賞典を圧勝したアブクマポーロも、2600m以上の距離ではトーヨーシアトルに勝てなかったのです。
栃栗毛の名馬 4 コイウタ
父 | フジキセキ |
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母 | ヴァイオレットラブ |
馬主 | (有)前川企画 |
調教師 | 奥平雅士(美浦) |
競走成績 | 21戦5勝 |
主なGⅠ勝鞍 | 2007年 ヴィクトリアマイル(JpnⅠ) |
※今回の記事では「JpnⅠ」を「GⅠ」と表記させていただきます。
競馬の歴史も21世紀を越えたあたりから、栃栗毛の活躍馬がめっきり少なくなってしまいます。しかし2007年、世にも珍しい「栃栗毛のGⅠ牝馬」が誕生しました。ヴィクトリアマイルを12番人気で勝ったコイウタです。
歌手の前川清氏が「(有)前川企画」として所有していたコイウタは、3歳時こそクイーンカップを1番人気で勝つほどの実力を持っていましたが、なかなか人気通りの結果を出さない「本命党泣かせ」の栃栗毛馬。
穴馬としての破壊力を秘めたコイウタは2007年のヴィクトリアマイル、父フジキセキから授かった「東京芝1600m適性」を武器に、周囲が驚く走りを見せつけました。
コイウタの注目レース「2007年 ヴィクトリアマイル」
前走のダービー卿チャレンジでは9番人気2着と好走したコイウタですが、前走がハンデ戦ということもありGⅠのヴィクトリアマイルでは2kgの斤量増と相手強化により、12番人気でした。
1番人気は同世代最強の牝馬で、過去のレース全てで1着入線という結果を出してきたカワカミプリンセス。「鬼脚」と恐れられた6歳馬スイープトウショウも、2番人気に支持されます。
レースでは出走馬全頭が馬場の荒れた内側を避ける、といった変則的なコース取りを選びました。全盛期とは程遠い状態の人気2頭は実力を出し切れず、9~10着に沈んでしまいます。
一方、馬場の荒れていないエリアのギリギリ内側を走ることができたコイウタは逃げ馬アサヒライジングを差し切り、ゴールイン。「栃栗毛の牝馬によるGⅠタイトル奪取」という、珍しい実績を作り上げました。
コイウタが勝利したヴィクトリアマイルでは「三冠馬デアリングタクトの祖母」栃栗毛馬のデアリングハートが3着に入線。「2頭の栃栗毛馬が3着内に入ったGⅠレース」は、サクラローレルとマーベラスサンデーが上位入線した1997年の天皇賞(春)以来ではないでしょうか。
栃栗毛の名馬 5 エガオヲミセテ
父 | サンデーサイレンス |
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母 | カーリーエンジェル |
馬主 | 小田切有一 |
調教師 | 音無秀孝(栗東) |
競走成績 | 19戦4勝 |
主な重賞勝鞍 | 1998年 阪神牝馬特別(GⅡ)
1999年 マイラーズカップ(GⅡ) |
エガオヲミセテはGⅠ勝鞍こそありませんが、エリート血統と珍名のギャップで人気を集めた、栃栗毛の牝馬です。
エガオヲミセテはJRA所属として初となる、名前に「ヲ」を採用した競走馬。愛らしい馬名とマイル戦での実績により、多くのファンを獲得してきました。
しかし2000年2月11日、宮城県山元町でのトレーニングセンター火災により、エガオヲミセテは命を落としてしまいます。
火災から3日後、エガオヲミセテと同門で7戦連続10着以下の高齢馬ユーセイトップランがダイヤモンドステークス(GⅢ)を勝利。「感動エピソード」として、地上波の情報番組でもピックアップされました。
エガオヲミセテの注目レース「1998年 阪神牝馬特別(GⅡ)」
エガオヲミセテは臆病な競走馬で、人気通りの着順にならないことの多い馬でした。「本命党泣かせ」という点では、前述した「栃栗毛のGⅠ牝馬」コイウタと似ています。
1998年の阪神牝馬特別。エガオヲミセテは1番人気キョウエイマーチ、2番人気エリモエクセルといったGⅠ馬に胸を借りる立場で、6番人気の出走となりました。
3走前のマーメイドステークスで5番人気3着と好走し、阪神競馬場での適性が見え始めたエガオヲミセテはGⅠ馬をも圧倒し、阪神牝馬特別を勝利。
阪神芝1600mでの適性が見え始めたエガオヲミセテは2走後、阪神牝馬特別と同コースのマイラーズカップ(GⅡ)を牡馬相手に、7番人気で勝利しています。
【殿堂入り】栃栗毛×尾花栗毛の名馬 サッカーボーイ
最後にご紹介する「栃栗毛の名馬」はもちろん、当ブログで特集記事を書かせていただきました、「尾花栃栗毛の名馬」サッカーボーイです!!
「尾花栃栗毛」サッカーボーイの情報については、コチラの記事をご覧くださいね!!
【あとがき】栃栗毛の名馬に共通していた点とは?

今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
最後に、タイトルに書いてあった「栃栗毛の名馬に共通する点」について気づいたことを書いておきましょう。
栃栗毛の名馬には、「シンプルな日本語と英語だけでつけられた名前」といった共通点がありますね!!
今回ご紹介できなかった、2021年も現役のGⅠ馬ノンコノユメ、昭和の二冠馬カツトップエース、日本競馬の発展に貢献した大種牡馬チャイナロックも「シンプルな日本語と英語だけで」名づけられた栃栗毛馬」といえますね。
当ブログの人気記事「黒鹿毛の名馬は末脚が強烈!伝説の5頭+1頭を名レースと共にご紹介!!」でご紹介したブエナビスタ、エルコンドルパサーの馬名は「絶景」「コンドルは飛んでいく」といった意味のスペイン語です。
これからも競馬ファンにとって「面白い!!」と思っていただける記事を書けるよう、がんばります!!