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「松国ローテ」は完成していた?過酷ローテを駆け抜け名馬となった5頭+1頭!!

名馬

毎年、日本ダービーの時期になると競馬ファンのあいだで「松国ローテ」の話題が出てきます。

松国ローテ」は新しい競馬ファンにとっては少々、なじみの薄い用語ですよね。今回の記事では「松国ローテ」についての解説と、「松国ローテ」に挑み名馬となった5頭+1頭をご紹介。

今回の記事を参考に「松国ローテ」を知り、競馬の楽しみ方をさらに深めていきましょう。

松国ローテとは?

「松国ローテ(マツクニローテ)」とは?最も簡単な説明をしてしまうと、

NHKマイルカップと日本ダービーに出走させるローテーション」のことです。

そして、NHKマイルカップと日本ダービーの両方を制覇した競走馬は「変則二冠馬」と呼ばれます。

2004年に松田国英厩舎所属のキングカメハメハが初の変則二冠馬となり、「松国ローテ」の注目度はさらに高まりました。

松国ローテの理想とは?

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「マツクニ」こと松田国英氏は、競走馬のセカンドライフを強く意識している調教師でした。そのため、管理している牡馬には「引退後も価値のある種牡馬として生活してもらいたい」という願いを込め、ハードなローテーションを採用していたのです。

マイルGⅠと日本ダービーで好走実績を残せば、価値の高い種牡馬になれる」といった考えから、松田国英調教師の挑戦が始まりました。

松国ローテに挑んだ名馬 1 キングカメハメハ

Kingmambo
マンファス
馬主金子真人
調教師松田国英(栗東)
競走成績8戦7勝
GⅠ勝鞍2004年 NHKマイルカップ

2004年 日本ダービー

「松国ローテ」で一番に思い浮かぶ競走馬は、キングカメハメハでしょう。

「キンカメ世代」にはダイワメジャー、ハーツクライ、ブラックタイドなど、たくさんの名種牡馬がいます。しかし競走成績と種牡馬成績の両方で、やはりキングカメハメハが頭ひとつ抜けている存在でした。

キングカメハメハ3歳秋に屈腱炎を発症し、天皇賞(秋)出走前に引退。早すぎる引退にファンは悲しみましたが、引退後も日本屈指の名種牡馬として、素晴らしい功績を競馬界に残しています。

キングカメハメハの注目レース「2004年 日本ダービー」

NHKマイルカップで5馬身差のレコード勝利を飾ったキングカメハメハは、自信を持って日本ダービーに臨みます。

日本ダービーでのキングカメハメハは1番人気ながら単勝オッズは2.6倍。ホッカイドウ競馬所属の注目馬コスモバルク、青葉賞を圧勝しコース適性を証明したハイアーゲーム、皐月賞馬ダイワメジャーにも人気が集まっていたのです。

レースでは序盤、10番人気マイネルマクロスが前半1000mを58秒を切る大逃げを打ちます。コーナーでは集団の前を走っていたコスモバルクが早めに仕掛け、全頭がハイペースに引っ張られる展開となりました。

中団より前めを走っていたキングカメハメハも直線手前で仕掛けます。ゴール前では先行勢が崩れる展開でしたが、キングカメハメハだけは耐え抜き、ハーツクライの猛追を退けゴールイン。

日本ダービーはキングカメハメハにとって展開、位置取りも良くないレースでした。しかし結果はレコードタイムでの勝利。鞍上の安藤勝己騎手はキングカメハメハのレースぶりについて、「誰がどう乗っても勝てるほどの強さだった」とコメントしています。

松国ローテに挑んだ名馬 2 クロフネ

フレンチデピュティ
ブルーアヴェニュー
馬主金子真人
調教師松田国英(栗東)
競走成績10戦6勝
GⅠ勝鞍2001年 NHKマイルカップ

2001年 ジャパンカップダート

クロフネは松田国英調教師にGⅠ初勝利をプレゼントした競走馬で、「変則二冠」に初めて挑んだNHKマイルカップ覇者でした。

NHKマイルカップを制したクロフネはGⅠタイトルをひっさげ、日本ダービーに臨みます。松田国英調教師は中2週での出走ということで余裕残しの調教を選択。

及第点ながら絶好とはいえない仕上がりのクロフネは1番人気ジャングルポケットに敵わず、日本ダービーは5着に敗れました。

2001年10月、獲得賞金不足で天皇賞(秋)に出走できなかったクロフネは、テスト的にダートGⅢ「武蔵野ステークス」に出走。2着イーグルカフェに9馬身差もつける、驚きのレコード勝利でダート適性を証明しました。

クロフネダート1600mの武蔵野ステークスで叩き出した1分33秒3は、芝1600mのNHKマイルカップを勝利したときの1分33秒0と大差の無い、驚愕のレコードタイムだったのです。

「芝とダートを同じスピードで走る馬」と恐れられたクロフネですが、2001年の年末に屈腱炎を発症3歳で引退し、種牡馬入りしました。

種牡馬になってからのクロフネは、芦毛と白毛の名馬を次々に輩出。2020年には産駒のソダシが、白毛馬として史上初のGⅠ勝利を飾りました。

クロフネの注目レース「2001年 ジャパンカップダート」

現在でこそ日本競馬史上最強ダートホース」の呼び声高いクロフネですが、ダートレース出走のきっかけは、3歳秋に予定していた天皇賞(秋)の優先出走権を得られなかったことです。

ダートレース初出走の武蔵野ステークスで9馬身差のレコード勝利を決めたクロフネは、ジャパンカップダートに出走。アメリカから参戦してきたGⅠ6勝中の強豪、リドパレスを迎え撃ちます。

リドパレスを抑え単勝1.7倍の1番人気で出走したクロフネは、3番人気で前年度覇者のウイングアローに7馬身差の圧勝。2戦連続でのレコード勝利を決めました。

クロフネは10戦中2戦しか、ダートレースを走っていません。しかしクロフネは出走したダートレース全てで大差のレコード勝利を決め、たった2戦でも「最強」と呼ばれるようになったのです。

松国ローテに挑んだ名馬 3 タニノギムレット

ブライアンズタイム
タニノクリスタル
馬主谷水雄三
調教師松田国英(栗東)
競走成績8戦5勝
GⅠ勝鞍2002年 日本ダービー

タニノギムレット松国ローテ」の中でも特に過酷な「皐月賞→NHKマイルカップ→日本ダービー」という、中2週を連続させたGⅠ3連戦に挑んだ競走馬です。

皐月賞、NHKマイルカップと1番人気3着が続いたタニノギムレットですが好調を維持した状態で臨んだ日本ダービーを完勝。3度目の正直でGⅠタイトルを獲得しました。

タニノギムレットが挑んだ「春の3歳GⅠ3連戦」は「カスケードローテ」とも呼ばれました。

カスケード」とは、1994年から連載された人気競馬マンガ『みどりのマキバオー』に登場する、架空の競走馬です。

主人公ミドリマキバオーにとって最大のライバルであるカスケードは物語内で、皐月賞、NHKマイルカップ、日本ダービー、全てのレースで優勝しました。

3歳春の過酷なローテーションを乗り切ったタニノギムレットですが、2002年9月に屈腱炎を発症。引退し、種牡馬入りしました。

種牡馬としてのタニノギムレットといえば、やはりGⅠ7勝のダービー牝馬ウオッカを輩出したことが最大の功績でしょう。ウオッカの活躍により「牝馬の成績が良い」といった印象を与えている点も、タニノギムレット産駒の特徴といえます。

タニノギムレットの注目レース「2002年 日本ダービー」

皐月賞、NHKマイルカップと不利を受け続け、GⅠ勝利を逃してきたタニノギムレットですが、日本ダービーに向けての調子は上向きでした。陣営も自信を持ってタニノギムレットを日本ダービーに出走させます。

日本ダービー発走前はタニノギムレットのたどってきた過酷なローテーションも不安材料とされましたが、最後は単勝オッズ2.6倍の1番人気に推されました。

道中は集団のやや後方に位置取りしていたタニノギムレットはコーナーでも外めを回る形となりましたが、府中の長い直線をフルに活かし、大外一気の差し切り勝ちを決めます。

のちに同年と翌年の年度代表馬となる「漆黒の帝王」シンボリクリスエスも、日本ダービーではタニノギムレットに力負けしていたのです。

松国ローテに挑んだ名馬 4 フサイチリシャール

クロフネ
フサイチエアデール
馬主関口房朗
調教師松田国英(栗東)
競走成績24戦5勝
GⅠ勝鞍2005年 朝日杯フューチュリティステークス

クロフネ産駒のフサイチリシャールは2歳王者となった翌年、タニノギムレットと同様に「皐月賞→NHKマイルカップ→日本ダービー」のGⅠレース3連戦を経験してきました。

早熟傾向だったフサイチリシャールは皐月賞5着、NHKマイルカップ6着、日本ダービー8着と冴えない成績で日本ダービーまでのローテーションを終えましたが、3歳時は秋以降に故障することなく、古馬戦線でも活躍。

古馬戦で短距離路線に進んだフサイチリシャールは穴馬として活躍しますが、5歳春に出走した高松宮記念でレース中に前足の腱を断裂してしまい、引退を余儀なくされます。

種牡馬としてのフサイチリシャールは2009年から2014年までと短い活動期間でしたが、2018年には代表産駒のニホンピロバロンが障害GⅠの中山大障害を勝利しました。

フサイチリシャールの注目レース「2005年 東京スポーツ杯2歳S」

フサイチリシャールはメイショウサムソン、アドマイヤムーンと同世代の競走馬ですが、2歳戦では圧倒的な先行力を武器に王者へと昇りつめました。

2戦連続で逃げ切り勝ちを決めたフサイチリシャールは重賞タイトルを獲得するため、東京スポーツ2歳ステークスに出走。ディープインパクトの全弟オンファイアを抑え、1番人気に推されます。

控える競馬も想定していたフサイチリシャールでしたが、結果としては2着のメイショウサムソンと3着オンファイアを寄せつけず、3戦連続の逃げ切り勝ちを決めました。

松国ローテに挑んだ名馬 5 ダノンシャンティ

フジキセキ
シャンソネット
馬主ダノックス
調教師松田国英(栗東)
競走成績8戦3勝
GⅠ勝鞍2010年 NHKマイルカップ

ダノンシャンティはキングカメハメハ、クロフネと同様の「毎日杯→NHKマイルカップ→日本ダービー」といったローテーションで日本ダービー制覇を目指しました。

NHKマイルカップをレコード勝ちしたダノンシャンティは変則二冠を期待されましたが、日本ダービーの前日に骨折が判明。出走を取り消します。

ダノンシャンティは骨折明けに同年の有馬記念で復帰し、人気を大きく裏切らない走りで復活を期待されました。しかし4歳春に屈腱炎を発症。引退し、種牡馬生活に入りました。

ダノンシャンティの種牡馬生活は比較的短く、2020年に13歳で引退しています。翌年には代表産駒のスマートオーディンがGⅠ未勝利ながら種牡馬となりました。

ダノンシャンティの注目レース「2010年 NHKマイルカップ」

毎日杯を勝利したダノンシャンティは変則二冠を狙い、NHKマイルカップに出走します。

レース前は単勝オッズ2.7倍の2番人気サンライズプリンスと人気を分け合いましたが、ダノンシャンティは単勝オッズ2.6倍の1番人気に推されました。

レースでは全頭が好スタートを決め、前半600mを33秒4で通過するハイペースを形成します。ダノンシャンティは後方から3番手と、良い位置につくことができました。

府中の長い直線ではハイペースを引っ張っていた先行勢が崩れ始めますが、サンライズプリンスは早めに抜け出します。しかし後方待機から大外一気のダノンシャンティは3ハロン33.5秒の末脚で差し切り、レコード勝利を手にしました。

レース実況を担当した長谷川豊アナウンサーは、ダノンシャンティが勝利した瞬間、「松国ローテ、完成となるのか!!」と声を張ります。

ダノンシャンティが勝利したNHKマイルカップは「松国ローテ」をますますファンに浸透させていったレース、といえるでしょう。

松国ローテに挑んだ名馬 番外編 ディープスカイ

アグネスタキオン
アビ
馬主深見敏男
調教師昆貢(栗東)
競走成績17戦5勝
GⅠ勝鞍2008年 NHKマイルカップ

2008年 日本ダービー

NHKマイルカップと日本ダービーの変則二冠を狙う「松国ローテ」は、松田国英調教師の専売特許というわけではありません。2008年、昆貢厩舎所属のディープスカイが「松国ローテ」をたどり、史上2頭目の変則二冠馬となりました。

ディープスカイは6戦目でやっと手にした初勝利をきっかけに、GⅠを含む重賞レース全てで3着内に入線する安定感を発揮します。

ディープスカイは3歳秋でも天皇賞(秋)3着、ジャパンカップ2着と好走。有馬記念こそ回避しましたが、満票でJRA賞の最優秀3歳牡馬に選ばれました。

4歳春でもディープスカイはGⅠレースでの好走実績を重ねていきましたが、4歳秋を迎える前に屈腱炎を発症。6月に11歳で他界した父アグネスタキオンの後継として、種牡馬入りしました。

ディープスカイの注目レース「2008年 天皇賞(秋)」(3着)

NHKマイルカップと日本ダービーの変則二冠、そして天皇賞(秋)を3歳時に制覇することが「松国ローテの究極」だとすれば、ディープスカイは最も理想に近づいた競走馬かもしれません。

2008年の天皇賞(秋)といえば、ウオッカVSダイワスカーレットの大接戦が伝説となったレースですが、3番人気3着と健闘した3歳馬ディープスカイも、勝負を大きく盛り上げてくれました。

1世代上のダービー馬ウオッカと比べ、影の薄い存在だったディープスカイ。しかし東京競馬場でのGⅠ成績は2-2-1-0と、ウオッカに負けないくらいの東京巧者ぶりを発揮していたのです。

松国ローテは完成していたのか?

松田国英調教師の代名詞とも言われる「松国ローテ」には、批判も多くありました。

競馬ファンならご存じのとおり、今回の記事でご紹介した名馬の大半が、屈腱炎によって引退しているのです。うちキングカメハメハクロフネタニノギムレットは3歳での引退を余儀無くされました。

屈腱炎までが松国ローテ」と批判する競馬ファンも多く、サラブレッドの一生を誰よりも考えている松田国英調教師の挑戦は、苦悩との戦いでもありました。

松国ローテと屈腱炎

泣く

「競走馬にとって不治の病」と言われる、屈腱炎ごく簡単にご説明させていただきます。

屈腱炎とは、脚の腱が部分的に断裂し炎症を起こす病気のことです。牡馬の発症率が高い傾向から「ホルモンが関わっている病気」といった見方がされ、治療法は「とにかく安静にすること」。

競走馬は一度でも屈腱炎を発症してしまうと、もう競走能力は戻りません。運が良くても復帰に1年はかかり、大半の関係者は「競走馬からの引退」という判断をするのです。

トレーニングを積んでいない競走馬はレースに勝てませんが、ハード調教の頻度が高くなると、屈腱炎のリスクもアップします。松田国英調教師は常にギリギリの判断で、競走馬をハードに鍛えていきました。

よほどの好条件が無いかぎり種牡馬になれない牡馬と比べ、牝馬は競走成績が振るわなくても繁殖牝馬になれます。

松田国英調教師は牝馬に対し、牡馬ほどのハード調教は行わない方針を選んでいます。しかし名牝ダイワスカーレットを育てた実績もあり、「マツクニ厩舎の牝馬は弱い」と言われることも、ありませんでした。

松田国英調教師が競馬界に残した財産

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競走馬の早期引退が続いて「クラッシャー」とまで言われた、松田国英調教師。

しかし「早期引退したからこそ名種牡馬として、たくさんの活躍をしてきたキングカメハメハやクロフネ、タニノギムレットなどの名馬は松国ローテ」あっての功績なのではないでしょうか。

定年を迎えた松田国英氏は2021年2月に調教師を引退。友道康夫氏をはじめとする名調教師をも育ててきました。

「末永く種牡馬生活を送ってもらうことが松国ローテの最大目標」とするのならば、「松国ローテは完成されていた!!」、と言ってもよいのではないでしょうか。