ちょっと、脱線しますが・・・
いつも当ブログを読んでくださり、ありがとうございます!!
今回も「偽善」についての話をしていこうかと思っていますので、お楽しみください!!
前回の記事では、「感情的報酬」についてちょっと書かせて頂きました。
まだ読んでいなかったあなたには、こちら!!→日記 第1回「偽善」の話 前半 ~感情的報酬~
今回はちょっと話を脱線させますが、私のフリートークコーナーということで、お許しください!!
『半沢直樹』の「倍返し」は、「返報性の法則」?
この記事を書いているのは2020年9月。
ちょうど現在、人気ドラマ『半沢直樹』が地上波でオンエアされています。
ドラマでは相変わらず、主人公の半沢直樹が「倍返し」をして、悪いやつらをギャフンと言わせています。
半沢の「倍返し」は視聴者の気持ちをスカッと楽にし、同時に気を引きしめてくれます。
しかしどうして、「倍返し」は気持ちのよいものなのでしょう?
「返報性の法則」とは・・・
ネットビジネスやマーケティングの知識が身につくと、「返報性の法則」という言葉を知ることになります。
正確には「返報性の原理」ですが、私は「返報性の法則」と呼んでいますね。
簡単に言うと、「何かをしてもらったら、お返ししないと気が済まなくなる」という心理状態のことです。
私流の乱暴な言い方をしてしまうと、「やられたらやり返したくなる」。
人間には多かれ少なかれ、「やられたらやり返したい」という気持ちを秘めているのでは?と思うのです。
だからこそ、「やられたらやり返す」を実行してしまう半沢直樹に注目が集まるのかもしれません。
現実世界で「やられたらやり返す、倍返しだ!!」とか言って、何でもかんでも「意趣返し」を実行していたら、社会が崩壊してしまいます。
まあ、『半沢直樹』の例はあまりにも乱暴なので、参考にはしないでくださいね!
私の「返報性の法則」
「返報性の法則」の最もわかりやすい例は、スーパーマーケットでの「試食コーナー」です。
コーナーを担当している店員は「試食してさえくれればいい」といった気持ちで、私に食品を食べさせています。
私は気分によって、そのまま「何食べようか決めていないし、ひとつ買っていくか」と、買い物かごに商品を入れ、そのままレジへ。
コンビニでトイレを借りたとき、適当に何か買っていくのも、私なりの「返報性の法則」。
食事をおごってもらったら後日、旅行に行ったときのおみやげを持っていくのも、「返報性の法則」ですかね。
スーパーの店員もコンビニの店員も、食事をおごった人も、私にそんなこと期待していません。
むしろ、「面倒くさいやつだな」と思うことが大半でしょう。
それでも私は、相手が「面倒くさい」と思っていようが、お返しの行動をしないと、ずっと気にしてしまうのです。
お返しの行動をして、自分で勝手に納得までこぎつける。
この「納得」という気持ちが「感情的報酬」なのですね。
インターネットには「返報性の法則」があふれている!?
どうして有料級の情報を無料で公開するのか?
インターネットでブログサイトや無料動画サイトを見れば、昔だったらお金と時間をかけなければ入手できなかった情報が、瞬時にたくさん、入手できます。
まるでインターネットは豪華な「試食コーナー」です。
大半の人は、情報だけもらって特別に何かを支払うということはしませんよね。
それでも情報を発信する側は、利益を得ることができます。
代表的なのは「広告費」ですよね。
当然ですが大勢の人が注目するところに、広告を出す企業は多額の投資をします。
ユーチューバーやインスタグラマーは、日々注目を集める努力をし、企業の宣伝を応援しているわけです。
例えば現在、「マウス」という、パソコンを取り扱う企業のCMをよく目にします。
パソコンに間に合っている大半の人は「広告うぜー」と、スキップするでしょう。
しかし、中には私のように「パソコンそろそろ、新しいのしなきゃな・・・」と考えている人もいます。
パソコンが欲しい人は情報を集めたいから、いつも見ているサイトから「マウス」の広告をクリックするわけです。
わざわざグーグル検索で「パソコン通販 マウス」と、キーワードを打つようなことはしないでしょう。
意図的になのか、「マウス」って企業名がもう、検索しづらいですものね。
「偽善」→「感情的報酬」→「返報性の法則」
お金持ちが多額の寄付をする理由は?
いかがでしょうか?「偽善」の話からは、かなり脱線しましたけど、ここで強引に「偽善」の話へと戻していきましょう。
某ドラマからの受け売りなのですが、ひとつ例え話をしてみます。
「お金持ちが多額の寄付をする本当の理由は、自分の罪悪感を軽くするため」
「罪悪感が軽くなる」・・・これは立派な、「感情的報酬」ですね!
しかし・・・、お金持ちはどうしてお金持ちになったのでしょう?
もちろん、「運がよかった」というのもあります。
もしかすると、「運」でお金持ちになった人は、「運」でお金持ちになったことに強い罪悪感を持っているのかもしれません。
それでは、「実力」でお金持ちになった人はどうでしょう?
「実力」でお金持ちになったということは、社会がその人の「実力」を認め、お金を支払う価値があると判断したからでしょう。
「実力」でお金持ちになった人が、多額の寄付をする理由・・・。
それは、自分を認めてくれた社会に対して「返報性の法則」が生まれたからなのでは・・・?
私は現在のところ、そう考えてしまうんですよね。
結局、「偽善」?
「感情的報酬」を得るため、人の役に立とうとする。
「返報性の法則」が生じて、人の役に立とうとする。
それすらも「偽善」と決めつけるのは、少々悲しすぎます。
ただ私は心理学者でもないので、強く断言することはできません。
「もしかすると、そうかも・・・」くらいに思っていただけると、うれしいです!!
また機会がありましたら、「偽善」についてのお話をしてみたいと思っています!
最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました!また別の記事でお会いしましょう!!